東京高等裁判所 平成8年(行コ)54号 判決 1997年1月29日
神奈川県伊勢原市岡崎六七七七番八号
控訴人
辻丈夫
右訴訟代理人弁護士
楠本博志
同
水野賢一
神奈川県平塚市松風町二番三〇号
被控訴人
平塚税務署長 田沼靖朗
右指定代理人
清野正彦
同
上武光夫
同
木村忠夫
同
上田幸穂
同
山本善春
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 控訴人が、被控訴人に対し、平成元年一一月二七日付けでした、控訴人に対する昭和六一年分の所得税賦課決定処分及び無申告加算税の賦課決定処分をいずれも取り消す。
3 控訴費用は、第一審、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二当事者の主張
当事者の主張は、次のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決二〇枚目裏九行目の「事後報告すらされなった」を「事後報告すらされなかった」に訂正する。)。
一 控訴人
1 質問検査権行使の違法性について
本件各処分は、他の者に対する調査の必要からされた控訴人に対する株式取引に関する問い合わせを契機としてされたものであるが、右問い合わせ(質問検査権の行使)に客観的な必要性は認められず、これを契機としてされた本件処分は、違法である。
2 本件賦課決定処分の違法性について
控訴人は、証券会社の担当者から、旧所得税法九条一項一一号及び旧所得税法施行令二六条二項所定の「売買の回数」について、「同じ日にした売買は一回と数える。」旨聞かされていたので、右説明を信じ、自己名義の取引が五〇回未満であると判断して、申告しなかったものであるから、申告をしなかったことに正当の理由があるものというべきである。
二 被控訴人
1 質問検査権行使の適法性について
(一) 質問検査権行使の対象者について
所得税法二三四条一項一号は、質問検査権行使の対象者として、「納税義務がある者」と規定しているところ、納税義務のある者とは、既に法定の課税要件がみたされて客観的に所得税の納税義務が成立し、いまだ最終的に適正な税額の納付を終了していない者のほか、当該課税年が開始して課税の基礎となるべき収入の発生があり、これによって将来終局的に納税義務を負担するに至るべき者をいう。
そして、申告納税制度における納税義務は、課税要件を充足することにより客観的に成立し、申告という手続により確定するものであり、また、所得税の課税要件は、歴年において課税最低限の金額を超える所得を有していることである。
係争年分当時、有価証券の譲渡に係る所得については、原則的には非課税のところ、例外として、継続的取引によるもの等は課税対象と定められ(旧法九条一項一一号)、また、株式売買の回数及び株数が一定数以上の場合(係争年分においては、売買回数五〇回以上かつ売買株数二〇万株以上である。以下「課税範囲の数」という。)は、その他の取引の状況にかかわらず右継続取引とみなされていた(旧令二六条二項)。したがって、係争年分の有価証券の譲渡に係る所得については、課税範囲の数以上の売買により課税最低限の金額を超える所得を有していれば、歴年終了時においで客観的に納税義務が成立するのである。
控訴人は係争年分において、課税範囲の数以上の株式売買を行い、七〇〇〇万円超の所得を有していたのであるから、前記課税要件を充足し、歴年終了時において、客観的に納税する義務が成立していたにもかかわらず、申告しないで納税を怠っていたのであり、所得税法二三四条一項一号に規定する「納税義務がある者」に該当することは明らかである。
(二) 質問検査権行使の必要性について
所得税法二三四条一項所定の「調査についての必要性があるとき」とは、税務署の調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申請、申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的に必要性があると判断される場合には、職権調査の一方法として、同条一項各号規定の者に対し質問する権限を認めた趣旨であり、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所等の実定法上特段の定めのない細目については、右にいう質問検査の必要があり、かつ、相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解される。そして、税務調査の必要性の具体的内容について、法律は特別に規定していないから、税務署長は、適正な租税負担の実現のため、過少申告の疑いが存在する場合のみならず、そのような疑いが当初から明らかでない場合でも、申告の真実性、正確性を確かめるために、質問検査等の調査を行いうると解すべきである。
被控訴人は、控訴人に対して照会した当時、控訴人が昭和六一年ないし六三年の所得税に係る確定申告をしていないこと及び同六三年に株式を取得していることを把握しており、右の観点から、控訴人が右申告をしていなかったことが正当であるか否か、すなわち、昭和六一年ないし六三年において、課税範囲の数以上の株式売買等により課税最低限を超える所得を有していないかどうかを確認する必要があると判断し、控訴人に対し、文書を通じて質問し、回答を得るという方法で質問検査権を行使したものである。
以上のように、本件調査において、被控訴人は、控訴人に対して質問検査権を行使する客観的な必要性があったのであり、また、控訴人が納税義務者であることから、本件照会による質問検査権を行使には何ら違法な点はない。
仮に、本件調査において質問検査権行使に違法があったとしても、調査手続の違法のみでは課税処分の取消理由にはならない。
2 本件賦課決定処分の適法性について
国税通則法六六条一項に規定する「正当な理由」とは、期限内に申告できなかったことについて納税者に責められる事由がなく、このような制裁を課すことが不当と考えられる事情のある場合をいうものと解すべきところ、旧令二六条二項に規定する「売買した回数」の数え方についての控訴人の前記解釈は、株式売買の委託契約の本質に反する独自の解釈であるばかりでなく、国税当局が当時公表していた見解とも相違する独善的な解釈であって、旧令二六条二項の法令解釈の誤解というほかない。したがって、本件において、国税通則法六六条一項ただし書きの「正当な理由」があるとは認められないから、控訴人の前記主張は明らかに失当である。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 当裁判所も、控訴人の本件請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほかは、原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する。
1 質問検査権行使の違法性について
控訴人は、他の者に対する調査の必要からされた控訴人に対する株式取引に関する問い合わせが質問検査権の行使であるとの前提にたって、右問い合わせには、客観的な必要性がなかった旨主張し、これに対し、被控訴人は、右問い合わせについて、控訴人は納税義務がある者であって、所得税に関する調査についての必要性もあった旨反論する。
そこで判断するに、所得税法二三四条一項一号所定の「納税義務がある者」とは、既に法定の課税要件が満たされて客観的に所得税の納税義務が成立し、いまだ最終的に適正な税額の納付を完了していない者のほか、当該課税年が開始して課税の基礎となるべき収入が発生し、これによって将来終局的に納税義務を負担するに至る者をもいうと解すべきところ、前記認定のとおり、控訴人は、昭和六一年分において、客観的に旧法九条一項一一号及び旧令二六条二項所定の課税要件を満たし、有価証券の売買による雑所得金額が七一六六万九一一八円であったのであるから、納税義務がある者に該当することは明らかである。
次に、控訴人の所得税に関する調査についての必要性について判断するに、右必要性については、当該調査の目的、調査すべき事項、申請、申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合であると解される。そして右客観的な必要性については、犯則調査の場合のように具体的嫌疑があることまでは必要とせず、申告のない場合又は申告の適否を審査すべき合理的必要性のある場合にも、質問検査権を行使できるものというべきである。
したがって、前記認定のとおり、他の者に対する調査の必要から控訴人に対して株式取引に関する問い合わせをすることは、質問検査権の行使が納税義務者の取引先に対しても行うことができるとされていること(所得税法二三四条一項三号)に照らしても税務調査の一態様として許されると解されるのみならず、仮に、右問い合わせが控訴人に対する質問検査権の行使に当たるとしても、乙四号証及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人が控訴人に対して「取得された株式等についてのお尋ね」(乙四号証)を送付した平成元年六月一四日当時、被控訴人は、控訴人が昭和六一年ないし六三年の所得税に係る確定申告をしていないこと及び昭和六三年には「三菱重工業」及び「味の素」という銘柄の株式をそれぞれ一万株取得していたことを把握していたのであるから、控訴人が確定申告をしていない昭和六一年ないし六三年において課税範囲の数以上の株式売買等により課税所得を得ていたか否かにつき調査する合理的必要があったものというべきである。
2 本件賦課決定処分の違法性について
控訴人は、証券会社の担当者(有田明浩)から、旧法九条一項一一号及び旧令二六条二項所定の「売買の回数」について、「同じ日にした売買は銘柄が違っても一回と数える。」旨聞かされていたので、右説明を信じて申告しなかった旨主張し、控訴人は、原審において、右主張に沿う供述をしている。
しかし、乙一五、一六号証によれば、野村証券の担当者であった有田明浩は、株式売買の回数については、一回の注文で複数の「売り」又は「買い」をした場合に、「売り」一回又は「買い」一回という計算をするという特例があるだけで、それ以外の計算上の特例はなかったし、控訴人から株式の売買回数等について一度も聞かれたことはない旨別件の証人尋問において証言しているところ、これに当時の所得税取扱通達集に株式売買の回数計算の方法が記載されていたことを併せると、控訴人の右供述はにわかに採用することはできず、他に控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。
二 以上によれば、控訴人の本件請求をいずれも棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩崎勤 裁判官 西口元 裁判官瀬戸正義は、転補のため、署名捺印できない。裁判長裁判官 塩崎勤)